「自由」という言葉はとても厄介な言葉です。

「私は自由でいたい・自由になりたい」
「自由にはそれにともなう責任や義務が生じる」

このように使われますが、青少年がよく「自由」を求める場合、親や教師など周囲の大人からの「支配」「束縛」からの開放を求めてのことかと思います…


さてそもそも「自由」とはどういうことなのでしょうか?
実は自由には『消極的自由』『積極的自由』のふたつの概念があります。

Wikipediaではそれをこう説明しています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B6%88%E6%A5%B5%E7%9A%84%E8%87%AA%E7%94%B1外部リンク

「消極的自由は他者 の権力に従わない状態、他者の強制的干渉が不在の状態を意味する。例えば信教の自由では政府が国民個人の宗教活動に干渉しないと規定(国家からの自由)するように、消極的自由は他者の干渉が物理的に無い範囲を規定する。

一方、積極的自由は、自己実現や「能力」(capability)によって規定される概念であり、自己の意志を実現しうること、能力のあることが自由である。自己の行為や生が自己の意志や決定に基づいているかどうか、自己自身 を律しうる自立した状態にあるかどうかという観点から見た自由である。そのように基づいていることが自由、そのような肯定的な状態にあることが自由なのである。」

先の普通の青少年の主張する「自由」といいますのは、「消極的自由」をさらに拡大解釈して「勝手気ままに行きたい」に近いものであるようです。

そもそも人間が「他者の権力等によって干渉を受けない」としても、自然環境や自然の法則、または社会的関係の中で何らかの影響を受けています。制限される場合もあるでしょう。「勝手気ままに自由に生きる」という事は究極的にはできないことであるようです。

自然環境や地理的条件によって人間が生存できる範囲(時期)は規定されます。また人間相互の関連の中では、協調・同調しなければ大きなトラブルを引き起こす場合もあることは、少し考えれば分ることです。

たいして積極的自由の考え方は、私は大変有効な自由の捉え方だと考えています。

そもそも動物は「不自由な存在」として生まれてきます。自分で自分の身を守れないばかりか、生存するための餌を得る事すら最初は出来ません。

成長すると共に「餌を自分で得る能力」「外敵から身を守る能力」を得て生きていくのですが、人間の場合、特に現在の日本のようにある程度文明が発達した先進国では、そのような生きるための基本的な能力なしにでも生きる事が出来てしまいます。

ですから、「自己の意志を実現しうること、能力のあることが自由である。」という積極的自由を意識する事が難しくなっているのかもしれません。

また、「生きるための能力」を狭義に考えてしまい、物質的経済(金銭)的な満足をえるための…とだけ考えてしまいがちですが、これも間違いです。
(勿論、個人や社会の物質的経済的発展は、人間の活動しうる領域を拡大しますので、このための能力も積極的自由を獲得するためのものである事には間違いはありません。)

私は人間だけがもつ社会的存在であるがために必要とする、社会的有用性が高い能力を得る事が、この積極的自由を獲得していくことの一番の要件であると考えています。

個人が社会の中でどれくらい必要とされているか…昨日書いたように「社会にどれほどのものを与えられるか」という事です。

この能力が高い者ほど社会的評価も高くなるのですが、社会的評価を得る事を目的とするわけではありません。そのような姿勢であれば、その評価点社会からの目による束縛観は強くなり個人はいわば社会から制御されるだけの者に成り下がります。

当然のことながら全ての人は最初から社会的有用性など持っていません。逆に社会に保護されるだけの対象であると言っても良いでしょう。そこから始まり、なんらかの仕事(賃金労働に限らず)が出来れば、なにか他のために役に立つ事が出来るようになります。これが〈小さいですが)社会的有用性です。

「おおきな仕事」ガ出来るようになれば、その仕事で助かる人・恩恵を受ける人が増えてきます。能力の高低によって社会的有用性は規定されるのです。

個々人にとってそれは、社会的連関が広く深くなり、活動する〈影響を与える)空間的広がりが大きくなってくるわけです。これが積極的自由の獲得であり、その発展ともいえるのだと思います。

「あの人がいてくれて助かった」「あの人に助けられた」…このような評価はその結果として得られるのですが、それを得た人間は大きな満足感や充足感、そして自己尊厳や矜持を得る事が出来ます。なによりも自分の生きる意味を確認できるわけですから、これは大きな幸せを獲得したといってもいいででしょう。

「自由でない状態」を嘆きもがき苦しむのではなく、そもそも人間は自由でない状態からスタートし、一つの能力を得る事によってひとつ自由の領域を拡大していく…一歩一歩その領域を広くしていく事に喜びを感じて生きる…

このほうが人生を幸せに送る事が出来るように思います。
何かの能力を身につけていく事が(その過程では多少の困難があるとしても)楽しくなってくると思うのですが…