表現するという事

最近はブログ等で誰でも自分の意見を表現し世間に公開することができます。

これはポジティブなことでもありまた、ネガティブな側面を持っている事でもあります。

従来、弱者は意見を言う機会はありませんでした。
いかなる意見であれ、社会的に権力を持ったり富をもつ事によってのみ意見を言う機会を与えられていた…といっても過言ではないでしょう。

国や地方自治体のアナウンス、いわゆるマスコミと言われるテレビや新聞などがそれです。

私が学生の頃「FM放送は誰にでも簡単に出来る表現の方法である」と言われましたが、現在の「ネット社会」はそれと比べても格段に簡単な方法を提供してくれています。

一昨年前のチュニジアで始まった「ジャスミン革命」など、一連の「アラブの春」と呼ばれる運動も自由な表現方法を手に入れた民衆によって起こされた…と言われています。

それが本当に「民主革命」であり「独裁者から民衆か解放される」という良いことかどうなのかという判断はさておき、(私は、先進大国の思惑やイスラム急進派などの意図や思惑が大きく影響されていることと推測していますので)大きな出来事を、民衆の自由な表現が引き起こした…という事実は認めざるを得ない事です。

現在も中華人民共和国北朝鮮ではそうらしいのですが…支配者が意図的に情報を「隠している」状況下で、民衆が正しい情報をひそかに得るためにインターネットを利用したり、自分の意見を表現するという事に使われるのならば、これはまさに情報の(収拾と発信の)民主化と呼んで良いように思います。

まあ、これがメリットであるわけです。

それに対してデメリットは何か…

ブログやSNSなどを色々見ていますと、中にはたいへん酷いものもあるわけです。
他人の事故や病気による不幸を揶揄したり、人間の生の尊厳をあからさまに賤しめたり…
このような表現も「自由に」できてしまうわけです。

刑法上の犯罪行為を含むものや、それを助長したり、また明らかな名誉毀損・誹謗中傷になるものについては、警察等による取締りや接続業者による指導によって解決する方法があるのですが、個人の「自由な表現」については、それがいかに「反社会的」「反道徳的」であろうが公権力によって取り締まる事はできません。

これは二つの理由からです。

一つは憲法が保障する「表現の自由」です。
もう一つは、その表現内容が「反社会的・反道徳的か否か」という事は、あくまでも相対的・主観的基準で判断するしかなく、絶対的な基準が無いからです。

これについては私は原則的にそのように思います。個人の表現については自由であり公的権力によって制限されたり規制されるべきではありません。

と同時にここに難しい問題がひそんでいると私は考えています。

憲法表現の自由は、あくまで「個人の表現を国家が制限してはならない」ということですから、個人が個人に対してその意見・表現に対して異論を唱える事は出来ます。

よく誤解があります。(社会通念上「問題がある」とされる表現をとる者に特に)「憲法で保障されているのだから何を表現しても自由だ」という誤解です。

確かに表現する事そのものは「自由」なのですが、それに対して「反論」や、「社会的評価」、はたまた「経済的社会的不利益」を受ける事はありえるのです。それを他が与える事も全くの「自由」であるわけです。

例えば、私がこのような論考を公表することによって「向学舎はアホな事をいうているので、あんな塾には行かん方が良い」と誰かが判断し行動に移すかもしれません。これはまた全くの「経済的不利益」を被ってしまうわけですww

もしくは、この論考に対して「苦情メール」を送ってくる人もいるかもしれません。

表現をした私には、その「経済的不利益を受け止め、苦情メールに対して返答をする」という責任が発生するわけです。

その責任を取る覚悟無しに表現する事はできません。

極端な話し、この論考が気に入らないと考えた「狂人」が私を刃物で襲うかも知れませんねw
それとも戦わなければなりません…

これも、この論考が「匿名ではない」と言うところから生まれる責任です。

問題は、多くのブログやネット上の発言が匿名でなされている…という事にあります。

先の「弾圧に対向する勢力」の例であればその匿名性はポジティブなものと考えても良いでしょう。

ところがネットの匿名性の陰に隠れて、「非道徳的」「反社会的」内容の表現がなされている…まあ間違いなくそのような者は確信犯的にそうであるのでしょうけれども…としたらどうでしょう。

これがネガティブな側面です。

少なくとも現在の日本は自由社会でありますから、社会に対して何かの意見をきちんと言うのならば、匿名である必要はありません。内部告発であろうがなんであろうが、客観的な正当性があるのならば堂々と実名で表現すれば良いのです。

そうでない「意見」であるならば、あえて言わなければならない必要性や合理性はありません。
ただの「面白半分」や「ストレス発散」で感情を吐露するのならば、「紙袋の中に吼える」で十分です…本来ならば。

ネット上でこのような問題ある表現をする者に問いかけますと、必ずこう答えが返ってきます
「嫌なら見なければいいじゃあないか」

そのとおりですねwww
ある面では「納得」します。

「納得」しながらも、そのような表現を見つけたら、「世間の目」として否定的な見解を書き込ませていただきます。まあ、有る意味の「嫌がらせ」を私はいたします。

お前の表現している事に不快感を抱いている者がいるぞ

こう私が表現する事で、その間違った表現者が何かに気づいてくれればそれでOKです。
おせっかいではあるとは思うのですが…