「サービス業」としての教える仕事①

そもそも「サービス」とは何か?

「サービス業・産業」などといわれる経済・経済学上では次のように定義されています。

①同時性 売り買いした後にモノが残らず、生産と同時に消費されていく。
②不可分性 生産と消費を切り離すことは不可能である。
③不均質性 品質は一定ではない。
④非有形性 触ることができない、はっきりとした形がないため、商品を購入前に見たり試したりすることが不可能。
⑤消滅性 形のないものゆえ、在庫にすることが不可能である。

このような性質を持つ(全て兼ね備えているとは限りませんが)もの(事)をサービスと定義しています。(参考 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%93%E3%82%B9

学校・塾に限らず「教える」という事はこのサービスを提供している事には間違いありません。

さて問題になるのは…「サービス」という言葉の与えるイメージが曖昧であるがゆえに、間違った「サービスの提供・提供する際の考え方」が生じる事です。

皆さんは「サービス」という言葉をどのようなイメージで捉えていますか?

(1)相手のために気を配って尽くすこと。
「家庭―」「―精神」
(2)品物を売るとき、客の便宜を図ったり値引きや景品をつけたりすること。
「少し―しましょう」「出血大―」「アフター-―」

三省堂大辞林WEB版にはこのように出ています。
(参考 http://www.weblio.jp/content/%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%93%E3%82%B9

多くの一般の方々はこのように「サービス」という文言にイメージを持ち、この言葉を使う際に「気を配りつくす」なり「便宜を払う」という意味で用いているはずです。

ここから「教えられる側」は、自分の主体的努力なしで、「塾」という「サービス機関」に通いさえすれば、講師から「便宜を払ってもらい」「気を配ってもらいながら」教えてもらう事によって、良い成績がとれたり志望校に合格できる…自然に…と思ってしまうのかもしれません。

まあ、業界のほうも「確信犯的に」その考えに乗っかった…またはぞれを触発するような宣伝をしていますので、間違っているのはどちらなのか…情けない話しですがそれが現実のようです。

まあ、そこまで酷くはないにしても、「自分に合わせて教えてくれる」「痒いところに手が届くように教えてくれる」という事を期待している人がほとんどでしょう。

もう少し言えば「解らないところを丁寧に教えてくれる」という事は塾が提供する「当たり前のサービス」と思っているかと思います。

さてそれは正しい事なのでしょうか?
(明日に続く)