6/4「サービス業」としての教える仕事③

http://d.hatena.ne.jp/co-gakusya/?_ts=1338295220
http://d.hatena.ne.jp/co-gakusya/20120530/1338378250
からの続きです。

サービス業に限らずどのような業においても、顧客に対してなんらかの「利便性」「満足感」などを教えることを少なくとも建前的には重要とされています。(経済学的には、業の主体者の単なる「利潤追求」を目的にしているだけなのですが…)

塾の与える「利便性」「満足感」というものはどういうものなのでしょうか…

「②」で書きました「学習内容を教える」や「わからないところを説明する」というのももちろんそのためのものです。

他にも「ノートのつくりかた」「テスト前の勉強の取り組み方」などの勉強の方法を教えることもそうでしょう…

でも、あえて言いたいと思います。

何も教えないことこそ最高の塾のサービスである…と。

考えてみますと、勉強ができ、学習する能力を高めますと、良い成績がとれ、良い学校へ進学することができます。

その目的はなんだったでしょう…

少なくとも向学舎では、「社会的有用性を持つ能力を身に着けた人間になること」を目的とします。それも社会人になった後も、持ち続ける事…すなわち、変化する社会に対応して新しい技能を習得しr続ける、成長・発達し続ける人間になることを目的としています。

そういう主体は、まず、自分で自ら新しい知識や技能を得るために動くことができる…自分で勉強ができる人間でなければなりません。

学校や本(教科書・参考書・専門書)、インターネットから得られる知識、また現実に出会ういろいろな人…これらはすべて「情報」です。

自らを学ぶ主体と位置付ければ、自分が経験すること、見聞きすることはすべて自分が成長するために「利用すべき」情報となるわけです。

わからないこと・必要だと思われることを調べる。そして考え、また調べる…他の人に聞かねばわからない事は訪ねて教えてもらったり、ヒントをもらえばよいでしょう。

実は、そういうことができる大人は極端に少ないわけです。

「教えてもらわねばわからない」と考えているからです。

もちろん、「教えてもらわねば…」という場合もあります。しかし、すべてがそうじゃあありません。(おそらくほんの一部でしょう。

自ら学べる人は「他人から教えてもらってわかった・できるようになったという事はほとんどない。わかったと思ってしまうダケである」という事を知っています。

教えてもらった事は、それを自分で考えたり使っていく中で初めて「わかる」のであって、教室などで教えてもらったその時に「わかる」というのは、いわば「誤解」に近いものがある…という事です。


丁寧に教えてもらえる…という事で確かに一時的な満足を得ることはできます。
しかし、それが「いつでも丁寧に教えてもらえる」と思うようになれば…もうこれは一種の依存ですねw

自ら学ぼうとする姿勢を正とし、そういった主体を作ることが塾の目的だとするのならば、明らかにこれはマイナスです。

教えてもらう事は、あくまで自分で主体的に学ぶための契機であったり、必要最低限にしなければなりません。



何も教えない塾

それが最高のサービスを提供する塾なのです。