称えるという事

この10年来ある高校のヨット部を応援しているのですが、このたび3年ぶりにインターハイの出場権を獲得しました。

私自身もとてもうれしい事です。

このヨット部にはOB・OGを対象とした練習や大会結果を報告するHPがあるのですが、そこにキャプテンが大会結果を報告したとたん、OB・OGから祝福のコメントや「拍手」が集まり始めました。

やはり…

祝福したいのでしょう。
中には自分が現役の時インターハイに出場した時の事を思い出し、自分を改めて見つめなおしながら祝福している人もいるでしょう。
また、自分が失敗した…努力が足りなかった、甘い見通しであった…などの苦い思い出を改めて思い出しながらの人もいるでしょう。

みんなそういう事をひっくるめて、祝福という儀式を行っています。

もう少しいえば、過去の自分を見直し、そこから何らかの教訓を得て今の自分に生かすために…
という事かもしれません。

これはオリンピックなどの「観覧するスポーツ」などでも似たような祝福の様子が見られるのですが、自分が高校生の時に全く同じスポーツをしていた…という事が感情移入をしやすくしているのかもしれません。

単なる「思い出」ではなくて、今も生きるOB・OGの歴史の場としてこのHPが見られていることに、ある種の感動を覚えます。

OB・OGが後輩を祝福する場…これは大切にしなければなりません。