原発問題を考えるためのひとつの視点
なんか世間ではネットを通じて「反原発集会・デモ」が「大流行り」しているようで、冷静なある友人も、関東在住のせいか多少「パニック」をおこすくらい「不安」が大きくなっているようです(苦笑)
まあ、仕方ありません。
そもそもが「放射性物質への恐怖」というものがあり、これは科学的理論的経験的にも実証されている事柄ですから。
あとは「どれほで薄ければ人体に影響はないのか」という事だけなのですが、これはもう科学でも「完全にわかる」という事は永遠にない事なのかもしれません…「まあわかった」と専門家が言う事を信じるしか他ありません。
今回のデモによって、改めて放射性物質の取り扱いがとても難しい事や、実際の事故によって大きな社会的影響が出ることを改めて知らされたのですが、それが漠然とした不安を大きくしてしまいました。
専門家の言う「安全基準」が信じられない…「人体に被害を及ぼすことはない線量」も「装置の安全対策やその規制」も…と言い出したら、あとはパンドラの箱を開けたがごとく、多くの人の不安は社会を席巻します。それがまた他の不安を大きくし…
さて、これがおそらく今の現状なのでしょうけれども、ひとつ物事を考えるための視点を提示してみましょう…
調べてみますと、まあ違う視点ですが同じことを考える人がおられましたので、調べる手間が省けましたw
http://qqcl25.blog103.fc2.com/blog-entry-1253.html外部リンク
「家庭用消費電力は26.87%である」というのが、このブログを書かれた人も私も言いたいことなのです。
私はこう考えます。
反原発を叫ぶ人々は、その「根拠」に「電気は原発なしでも足りているではないか!」という考えがあります。
確かに大飯原発が再稼働するまでの1年以上の間、若干の「停電」はありますが、まあ「電気は足りている」と思ってしまいます。
それは多くの人が、家庭用の電気に大きく意識が言っている(もしくはそれしか考えていない。)からなのでありましょう。
対して、産業界の人や日本経済を大きく考える人は「原子力発電なしではやっていけない」と言います。それは産業用電力・業務用電力を考えているからです。
「原子力は安価・安定したエネルギー源」というやつですね。それが73.13%を占めています。
(もちろんそれはすべてが原子力発電によるものではありません)
私が言いたいのは「割合が大きいほうが…」ではありません。
原発の云々を考える場合に、単に「不安」からではなく、また「自分のわかることで」考えて意見の言うのはいかがなものか…と言いたいのです。
感情やイメージで多くの人は「判断」し「言動」します。
そういうものですから仕方がないのですが…またその感情を無視することも到底できることではありません。
しかし、それだけでよいのか?
人命とエネルギー源の直接的対向がるのなら、考えるまでもなく人命を優先します。
はたして今がその決断をしなければいけない時なのでしょうか?
もう少し冷静に「73.13%」のほうをも考えて判断しても良い時期ではないでしょうか?