大津市での事件について

今日は決して「論理的思考」ではありません。感情的である部分もありますし、限定的なものも含まれます。

まずは昨年にお亡くなりになった少年にお祈り申し上げます。

さて

この事件が起こった時(その日)、生徒から中学生の自殺があったことを聞き知りました。
同じ市内ですが、向学舎にはこの中学に通う生徒はいません(過去に一人いたことがありますが)ので、当事者ではありませんし関係者でもないことから、「そりゃあ大変だな」程度の「他人ごと」の感想しかありませんでした。

もちろん私の関係する子供には
「死ぬなよ。もし虐められて死にたいなどと思ったら、とりあえず俺に言え。助けたるから」
と半ば「理屈としては想定できる」程度の考えで言いましたが…

今回の件は調べようと思えば、いろいろ報道されていない部分や、ネット上で「流出」「拡散」していること以外の「事実」を調べることはできます。

でも調べません。

当事者ではないからです。
(もし私が過去にかかわった者でが加害者等であるならば、話は別です。その行為には私にも責任があります。…偉そうに「説諭」しまくっている責任です。かっこよくいえば…本当は「悲しさ」です。)

それよりも大切なのは、私の周囲で…少なくとも私が影響力を及ぼせる学校で本件のようなことが起こらないように、何をなすべきか考え実行することが大事です。

今回の報道や、漏れ伝わる「ネット上の情報」について、それが事実がどうかはわかりませんが、もし本当に「虐めによって自殺に追い込まれた」「現場教員はその虐めを止めることができなかった」「加害者の親は自分の子供が虐めなどしていないと言い張っている」のなら、これはもう悲しさやや哀しさをとおりこして「怒り」の感情が沸き起こります。

(同じ自治体の住人として忸怩たる思いもありますし、主権者としての「恥ずかしさ」もあります。
また「自分がなにもすることができなかった」という無念の情もない事はありません。)


おそらくネット上で「加害者・加害者の親の実名を晒せ」と「一生懸命」やっているものの中には、私よりも大きな怒りの感情を持ち、それが動機となっているものも少なからずいる事でしょう。

そういったものは自分が過去に(もしかすると現在も)虐めの被害にあっているからだと推測しています。

その「気持ち」もわからないわけではない…

しかし、過去に虐められ「死にたい」と思った人も、少し立ち止まって考えてほしいのです。
確かに虐められることは辛い、教師や親、はたまた周囲の人間が救ってくれない…というのはさらに哀しく辛いことであったともいます。

でも、「自殺していない」のですよね。

何とか、その困難を克服しているわけです…

虐められたから、救われなかったからといって必ずしも自殺するわけではありません。

何が違うか?

無論、自殺もケースバイケースですから一概にいう事はできません。
様々な自殺の研究によってある程度までは「分かって」います。

人間は「絶望の淵」に立っても自殺はしない…
絶望に直面した…それでも自殺するわけでもありません。ただし自殺する方向へ物理的に進む可能性は大きくなります。

私の現場でできる事は、虐めをなくすことではありません。大なり小なり「他を虐める」という事は日常生活の中であり得ます。

それがたとえば「自己の相対的優位を確認し満足するため」「支配欲」などの動機で起こったとしても、それはある意味、人間としての自然な「行為」であると思います。

もちろん、それらは本質的に「良くない」精神です。それが「良くない」という事は知らなければなりません。

相手が絶望するまでの虐めはしてはいけない

これだけは「最低基準」として厳守しなければならない事を教えなければなりません。

虐められている側が、「精神的苦痛」と「感じている」程度から、虐めの頻度や回数、程度がエスカレートしていくにつれ、その水準にまで達する可能性がある…という事です。
また、それは大きく個人差があります。

昔は「弱い者いじめをするな」とよく怒られた(拳骨とともに)ものです。
この言葉は、もちろん、「相対的優位性を確認する」ということが、いかに卑怯・卑劣か…という哲学観を教え・養うためにも良い言葉です。

「個人差による危険水準に達するまでの差」を鑑みれば、これほど説得力のある言葉はありません。


さてもう一つ

「絶望に至るまでに問題を解決してやる」と言うのが私のすべきことかと思います。

昨日、中学「1年生にはこういいました。今日2年生に言いました。

「もし学校で虐めらたら、まず自分でアクションを踏め。別にどついても良い。友達に相談しても良いだろう。それでもまだ虐められるようなら、親や先生に言え、自分からだ。自分で解決・克服することがまず基本だ。」

次にこういいました。

「もしかしたらそれで解決するかもしれないししないかもしれない。またもしかしたら『仕返しが怖い』などの理由で、親や先生に相談できないかもしれない…頼りない先生もいるだろう…その時はすぐにワシに言え。絶対解決してやる。どんな手段を使っても虐めを止めてやる…だから絶望するな」

関係する者が絶望するのだけは耐えられませんから…

もうひとつ言いました
「7・13には海猿を見に映画館へ行け。以上」


そのあと考えました、もう一言言わねばなりません

「そして次はお前が、他の者が虐められているのを救え。
それができる人間になれ。腕力でも、知恵でも、何でも良いから身に着けて強くなれ。」