2013/2/8 1937年盧溝橋事件から学ぼう!

【1937年盧溝橋事件から学ぼう】
中国人民解放軍海軍の「レーダー照射事件」に関して‥

【北京=島田学】中国外務省の華春瑩副報道局長は7日の記者会見で、中国海軍艦船が海上自衛隊護衛艦に火器管制レーダーを照射した問題に日本政府が反発していることについて「日本が危機をあおり、緊張をつくりだし、中国のイメージをおとしめようとしている。関係改善の努力に逆行するものだ」と語った。レーダー照射自体は「その報道については関連部門が現在、真剣に調査している」と述べた。

 一方、香港のフェニックス・テレビは7日夜、中国国防省の報道担当者が「(日本側の発表は)事実と一致しない」と話したと伝えた。発表内容のどの部分を否定したのかは不明。東シナ海での日中間の緊張は「日本の艦船が近距離から中国の艦船を監視しているのが原因だ」とも語ったという。国防省は7日夜現在、公式コメントを公表していない。
(2/7日本経済新聞http://www.nikkei.com/article/DGXNASDE07001_X00C13A2PP8000/


「中国と日本はかつて戦争をした」
1937年7月7日におこった盧溝橋事件から1945年8月15日までの8年間をそう「理解」している人は多いのですがそれは間違いです。

では

「中国政府と日本政府はかつて戦争した」のでしょうか?

これまた間違いです。確かに「日本政府は」は正しいのですが‥

多くの人はこういった浅い知識(中学生レベル)での歴史の認識に満足しています。
しかし、それでは歴史から学ぶ事は出来ないのです。

1937年当時の中国大陸に統一政権などありもしなかったのです。
大きく言えば2つの政府があり3つ+αの権力争いのさなかにあったと言えるでしょう。

蒋介石を首班とする国民党政府

毛沢東周恩来らを中心とし、ソ連コミンテルンに指導と援助を受ける中国共産党勢力
(①の国民党革命軍の中に勢力を持つ)

汪兆銘を中心とする和平グループ(1940年に汪兆銘は南京国民党政府を蒋介石に対向して作る)

④ ①②③にそれぞれ協力したり包括されていた、または全く独立していた「旧軍閥」「地方有力者」のグループ たとえば盧溝橋事件の「主役」宗哲元などは代表的存在です。

中国北部(満州近辺では)
⑤殷汝耕を首班とする冀東防共自治政府 日本の「傀儡政権」の性格を持つ政府
⑥河北地方の自治を目指す、宗哲元らを首班とする冀察政務委員会 ①はこれをコントロールしようとし、日本軍も同様、⑤とも接近したり離れたりといたって不安定な様相をもつ。③とも関係の深い幹部がいた。軍(第29軍)には②の者もまざり、これらが盧溝橋事件を起こした。

戦争の拡大と進化につれて①②⑥は協力関係を強くし④はその①②ニ参加したり取り込まれていきますが、②はずっと独立したままであり、日本と協力関係を結び停戦をしようとします(失敗したのですが。)

このようにいたって複雑な権力が乱立しそれぞれのヘゲモニー争いをしていたわけです。
戦後御存知のように②は①の勢力を大陸から追い出し、今の中共政府を作ります。(①は台湾に逃げ延び中華民国を築きます。)

さて

現在の中国はどうなのでしょうか‥

中国政府・中国共産党中国共産党人民軍は本当に「一枚岩」「一つの意志」を持っているといえるのでしょうか‥

私はどうもそれには懐疑的です。中国政府と共産党は制度としては異なるものですが現実的には同一のものです。しかしその内部はどうでしょう。

一応、習近平一派がそのヘゲモニーを握っているようですが‥「太子党」と言われるものも一枚岩かどうかわかりません。なにしろヤクザ組織と同じでヘゲモニーを握れば莫大な利益を得る事が出来ます。

逆に失脚すればすべてを失う‥近年では重慶で「毛沢東思想」による統治で思考をおさめ、習金平のライバルと目された薄熙来が良い例でしょう。薄は2011年に失脚し今や死刑目前で投獄されています。
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201210%2F2012101100714&g=int

中国共産党人民軍はどうでしょうか。

彼らは中国政府にではなく、中国中国共産党中央軍事委員会(主席 習金平)を最高軍事指導機関とします。

ちょっと複雑なんですが、「政府の言う事でなく共産党の言う事を聞く」と言う事です。
「政府と共産党は事実上一体」であるのですが、政府内(共産党内)での勢力争いによって、『意見が一致しない」と言う場合もありますので、要注意です。

たとえば1989年の天安門事件が良い例です。

第二次天安門事件が発生した時に、中国人民解放軍が、民主化勢力(民主化運動に理解を示していた一部の政府中枢を含む)と共産党保守派のどちらかに付くかを、全世界が注視したが、中央軍事委員会主席である訒小平の命令によって民主化勢力の弾圧を行った。人民解放を冠した軍隊が人民を弾圧した光景は第一次天安門事件の時に四人組からの命令を最後まで無視した姿とは余りにも対照的であったが(四人組は最終的には民兵を動員した)、中国人民解放軍の行動は中央軍事委員会主席の一言に左右されている事を知らしめた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E6%B0%91%E8%A7%A3%E6%94%BE%E8%BB%8D

今回の「レーダー照射」についても、「近習平の意思でさせた」という説もあれば、人民解放軍に強い影響を与える党(政府)幹部‥軍事委員会委員でもある‥が勝手に命令した、という説もあります。「現場の暴走」説もあります。

※「近の命令であった説」
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130207/chn13020720050005-n1.htm


まあ、このように諸説がまことしやかに流れると言うのも、中国人民解放軍が、「シビリアンコントロール」とは全く無縁のものであるということなのです。

隣国にとってはまあ、厄介な存在です。
日本人としては、「中国が攻めてくる」などというような危機感を安易に持たず、中共政府内部や軍関係者のヘゲモニー争いを今度は十分見定めないといけません。

勿論、中共政府・人民解放軍と、中国国民も一枚岩であるはずもありませんので、その点も留意しなければなりません。

「中国対日本」などあるわけもない幻想なのです。
中共政府・人民解放軍反日勢力などが暴走する事は十分ありえますが、そのときこそが中国国民とそれらを分離させる最大のチャンスでもあります。

1937年当時は日本政府ですら中国を「国共合作」などで「一つの中国」と見てしまったようです。勿論、国民は「憎きシナ人」でした‥まあ、それくらいの知性しかなかったのだから仕方ありません(苦笑)

少ないながら、中国側をの混乱する権力乱立を知り、それを利用しようと努力したものも日本陸軍内部にもいましたが、いかんせん一貫して東条英機がアホでありました。もしかしたらやつは「コミンテルンのスパイ」ではなかったのかとおもうくらい、コミンテルンの意図どおりに日本を動かしたのです。

国民もアホでした。彼のプロパガンダに見事に乗ったのですから。

ちなみにあの戦争は「侵略戦争」でも「日本の防衛戦争」でもありません。
中国大陸に共産主義を根付かせる‥最終的にはコミンテルンソ連のそれではなく、毛沢東のそれでした‥為の戦争でした。

いや

毛沢東を王様にするための戦争」と言っても良いでしょう。

さて、今回は誰が王様になろうとして「レーダー照射」をしたのでしょうか。
それにはとても興味がありますが、私も関係者として巻き込まれそうですので「高みの見物」と洒落こむわけにもいきません(苦笑)

あらためて日中戦争開戦時のことを学びたくなったのはこういったことからなのです‥