戦争では市民の「大虐殺」は不可避であった

 2013年3月5日毎日新聞WEB
名古屋市河村たかし市長が南京事件への発言を巡って中国大使館を訪ねようとしていた問題で、同大使館は5日、駐名古屋総領事館を通じ「南京大虐殺を否定する発言を撤回しない限り、会うことはできない」と拒否する意向を伝えた。河村市長は同日午前、毎日新聞の取材に「私の発言は政府見解とほぼ同じ。会ってくれないのはおかしい」と不満を表明した。

 河村市長は中国大使との面会を通じ、姉妹都市関係にある南京市との交流回復を目指していたが、現状では厳しい状況に追い込まれた。

 関係者によると、面会拒否の意向は5日午前、総領事館から電話で市に連絡があった。市は今後も面会を求めていくという。

 河村市長は2月20日、南京事件について「通常の戦闘行為はあって残念だが、南京事件というのはなかったのではないか」と発言。21日に南京市が名古屋市との交流一時停止を発表したため、市長は27日「(被害者が)30万人とされるような組織的な大虐殺はなかったのではないかという趣旨だった」と釈明した。

どうも「大虐殺はあった」とどうしても言いたい人もいれば「なかった」と言いたい人もいるようです。(河村さんが「なかったと言いたい人」とは思いませんが…中国政府はどうも頑なな態度をとっているように思います。)

1937年12月10日に日本軍が中国南京市に総攻撃をかけ13日に南京は陥落しました。

(当時南京には蒋介石政府が首都を置いていましたが、11月20日に蒋介石重慶に首都を移すことを宣言し、漢口へ脱出しています。南京防衛司令官に唐生智が任命されますが、唐も12月12日に南京を捨て撤退します。)

南京陥落の翌日から約6週間にわたって行われた南京城の城内・城外の掃討でも、大規模な残虐行為が行われたと言われています…これが「南京事件(第二次南京事件)」です。

これがまあ「市民」に対してなのか「市民を装った中国軍兵士」に対してなのか…というところで「30万人虐殺」「10数万人虐殺」「数万人・数千人…」というところは研究者によって論ぜられているところなのですが、どうも「0であった」という主張は信憑性がありません。

そもそも戦争ですから

また、「数千人」いや「数百人」でも「大虐殺」と言えばそれに当たります。中国ゲリラ兵。残存兵の取り締まりの最中で市民を「誤って」処刑した事や、食料等の物資を徴発することは、された方にとっては「略奪」であります。またその際に「乱暴なやり方」も当然あったでしょう。

そもそも戦争ですから

私は二つ疑問があります。

なぜ中国政府や一部の日本人は、もう70年以上も前の事件に対して「謝罪せよ」「謝罪の気持ちを持て」とことさら言うのでしょうか?

日本市民もあの戦争で「大虐殺」をされましたが、その相手国人に対してそのような事を言う人はまあ見かけません。

一般市民が空襲によって10万人殺された都市に、アメリカ人が何人も住んでいます。中には「戦争を終わらせるために仕方のない・合理的な攻撃であった」と思っているアメリカ人もいるでしょうし。自分の祖父・曽祖父の世代が、東京を焼け野原にした事を知らない人もいるかもしれません。

でもそのアメリカ人に対して何も言いません。もうはるか昔のことであり、今生きているアメリカ人には何も関係のない事だからです。言っても仕方のない事です。

広島・長崎…でも、戦争の終わった後のシベリアでも…
大陸から引き上げの途中にも…

不幸な出来事は数多くありましたが、その相手国に恨みつらみを言う人は、まあほとんどいません。

ましてや私自身がなにか被害にあったわけでもありませんから、恨みも何もありません。

そもそも戦争ですから

なぜ一部の人は「日本軍は無抵抗の市民を殺さなかった」と言いはろうとするのでしょうか。

銃や大砲の弾は市民に当たらない…のでしょうか?どこの戦場でも軍人同士の戦いに市民が巻き込まれています。ましてや南京は大都会でありました。軍隊が南京に進駐する際に、駐留する場所や食料も「現地調達」ですよね。強引な方法で調達する事も当然ありうるでしょう。

12月13日以降も敗残中国兵が襲ってきたこともあったはずです、市民を装って…当然日本兵も防衛のため応戦しますよね。その際に…そういう事もあれば、市民を「調査」するはずです。これまた強引に「危険性がある」「中国兵である可能性がある」ということで処刑するケースもないとは言い切れません。当時の「民族意識」からすれば…

たしかに「30万人ではない」と言いたいのは解ります。

その中国の「大げさな表現」は私も認めるわけにはいかないと思います。

しかし「大」なのか「中」なのか「小」なのかは別にして、少なくはない市民が巻き込まれて死んだ(殺された)という事は確かな事実です。

そもそも戦争ですから

私たちが今知らなければならないのは、「1945年までに世界のあちこちで戦闘行動があり、兵士のみならず多くの市民が死んだ」すなわち、何人であろうと多くの人が多くの人を「殺した」
という事です。今もそれは世界のどこかで起こっています。

戦争はあらゆる面で「理解」する事は出来ます。

簡単に考えれば、誰かが誰かを殺し、誰かが誰かから殺される事が戦争であり、それは戦争のあらゆる側面があるとしても、絶対に看過できない面である…といえます。

本来死ぬのも殺すのもできないのが人間であるはずなのですが、どうも社会のシステムが?そのできないことをしてしまう(させてしまう)ようです。

人間の欲?本能?がそうさせると考える人もいます。
そうであれば人間はずっとこの戦争から逃れる事は本質的にはできないようです。

そうであるならば人間は戦争を極力しないように、いわば制御する事をしなければなりません。

そのために、戦争では市民が「巻き込まれて」死んでしまう事もおおいにありうる

という事をしっかりとわかっておかなければなりません。