2/23 やる気とは一体何?

さて今日は「やる気」という事を考えてみたいと思います。
「やる気を持たせることが大切」
「やる気があれば勉強はできるようになる」
「楽しい勉強でやるきがおこる」
「興味を持たしてやる気を出させよう」
「褒めてやる気を出させます!」

このような表現は、もう嫌なほどw学習塾をはじめあらゆる教育産業の広告で目にします。

「うちの子はやる気がないので、やる気を出さしてください」
「やる気さえあれば…いいんですけどねぇ」

こういったお言葉を御父母の方々からもよく伺います。

「やる気」とは一体何なのでしょう?

ちょっと視点を変えて「成績が良い人はやる気を持って取り組んでいるのか?」という事を考えて見ます。

自分のことで恐縮ですが、私は公立小中時代に、主要5教科はほぼオール5の成績をとる「成績の良い人」でした。勿論トップの公立進学校に進学をしました。(そこで見事に「崩れて」しまうのですがwww)

さて小中学時代の私に「やる気」があったのか?といわれれば私は「No」としかこたえられません。

確かに「クラスで1番」「学校で1番を争う」などの結果は、相対的な優越感を感じられる者でしたので、テスト前には高得点を目指して試験勉強を頑張ってやった記憶はあります。

また家庭も教育熱心でありましたので、成績に対する評価は厳しいものでしたので、それが大きな圧力になっていた事も否めません。

少なくとも「勉強内容に対する興味」などはほとんどなかったように思えます。

できれば一切の勉強をせずに遊んだりスポーツをしているだけで暮らせないかな…と考える普通の少年でした。「勉強(そのものの)のおもしろさ」など全く記憶にありません。

私のこの姿勢や精神状態が決して良いものとは思いませんが、少なくともこの経験から、
「やる気がなくても、興味すらなくても良い成績はとることはできる」と、私は言い切ることができます。

さて、ここで読者の方は「違和感」を感じておられる事と思います。

「やる気」という言葉が表すものが、とても曖昧であるがために、それぞれの方にそれぞれの「イメージ」があるがためにおこる「違和感」なのではないでしょうか…

さて
「やる気」と似た言葉で「動機」「動機付け」と言う言葉があります。

企業活動の中で「労務管理」「人的資源管理」と名づけられた、管理論…いかに労働者を有効に働かせるか…といった視点で研究が進められたものです。

一生懸命働くために動機を与えることが大切。その有効な動機とは何か?

もしドラ」でおなじみのP.Fドラッガーなどもそれを研究しています。

勿論この研究のベースは心理学にあります。
「行動を引き起こす意識的・無意識的原因」を動機と定義するのが普通です。

「生得的動機と社会的動機」「内在的動機づけ・外発的動機づけ」などは皆さんもどこかで(会社の研修など)でお聞きになっているかも知れません。

さてこれら心理学や経営学での研究でも明らかなとおり、この動機や動機を喚起する動機付けもいたって「多面的・副次的」であり、「興味を持たせる」「褒める」などがさも「決定打」かのようなものであるとは示唆してはいません。

ようは「いろいろある」という事のようですwww

さあ、話しはわけがわからなくなってきました。

いったい「やる気」とは何なのか、子供の「やる気を引き出す」などという事ができるのでしょうか?

勿論、心理学的・人的資源管理的な様々な手法を、手を変え品を変え用いることでそれも可能でありましょうが、もうひとつ「深いところ」を知っておこなわなければそれも有効ではありません。

第一「「行動を引き起こす意識的・無意識的原因」に何があるかを知らなければなりません。

有名な心理学者のマズローと言う人は人間の行動の基盤としての「欲求」を5段階に階層化し説明しました。 (①が低位で⑤に向かうほど高い欲求です)

①生理的欲求(physiological need)
②安全の欲求(safety need)
③所属と愛の欲求(social need/love and belonging)
④承認の欲求(esteem)
自己実現の欲求(self actualization)
私は子供の「勉強面でのやる気」というものもこの5段階を考えていかねばならないと考えています。

たとえば私の先の例は、①と②…ようは宮口家で安全に生存するための動機で勉強していたわけですから、高校生になって「独立・自立」を意識するようになれば、当然面白くも無い勉強を放棄してしまう結果となりましたw

また「相対的優越感」なども、非常に低次元の心理でありますから、「他の方法で相対的優越感」を味わおうと、バイクに乗ったり大人びた遊びをして誤魔化す事も十分可能です。

「褒める」などの手も④の「承認の欲求」を満たすための方法としては一定有効なのですが、高い能力や自己信頼感が無ければ、「空虚な煽て」に成り下がりますので、「ほめれば良い」というものでもありません。

やはり④⑤まで勉強することの意義を関連付けなければ、本来の自発的自主的なエネルギーとしての「動機」…すなわちやる気なのですが…は出てきません。少なくとも学習に真摯に取り組む姿勢が長期的に継続しないわけです。

キーワードは「自己尊厳と使命感」でありましょうか…

どうも、学力を大きく伸ばし社会へ立派に羽ばたいていった向学舎OB生を見ていますと、そう感じます。

どのようにしてそれらを、から子供が自分で育んでいける環境を作るか…そのきっかけを与えるか…

只管、勉強をさせる、とにかくやらせると言うのも案外と良いのかも知れません。
先ずはやらせる。やらせながら学習効果を実感させる。
同時に、その到達形を(単に○○高校・大学に合格ではなく、社会で活躍する優秀な方々)を見せながら…

やる気は後からついてくる…というよりだんだん高い次元のやる気になってくる…
こんな感じなのでしょうかね。