5/30「サービス業」としての「教える仕事」②

昨日からの続きです


さて再度「サービス」という言葉を整理してみましょう。

①その時点でのcomfortableを得る・満足を得る・快楽を得るために便宜を受ける…これが「サービスを受ける」ということの一般的な解釈でしょう。

②「サービス業」「サービス産業」という文言にはこの①のような意味は含まれません。農漁業や製造業でない業はすべてサービス業と分類されています。中には①のような満足を与える業も含まれていますがすべてではありません。

簡単に言えば、風俗業やリゾートホテル、または享楽としての飲食を提供するレストラン等は①のサービスを提供する業と言ってよいのだと思います。しかしその他の「サービス業」はそれぞれに多少の違いはありますが、①であるとはいえない面があります…

まさに無機質な「行為によってなんらかの利便を得た」というだけのことです。

(もちろん、店員なりが「にこっと笑う」「愛想がよい」などは人間関係を円滑にするために必要な行動ですから、あったほうがお互いよいに越したことはありません)

まあ、よく店員に対して「俺様は客やど、俺様にかしずかんかい」などといわんばかりの偉そうな態度をとるものがいますが、それは明らかに「勘違い」で、それなら「チップの一つも払え」と言いたくなります…日本の一流ホテルや料亭のようにそのためのサービス料を支払っている場合とそうでない場合は明らかに異なるのですが…まあ、そのように「店員に威張る」ような者は、一流ホテルや料亭とは縁のない低階層なものであったり社会的地位の低い無教養の者ですから仕方がありませんw

話をもどしまして…

それでは、塾という「サービス業」はどうあるべきなのでしょうか?
どのような「行為」がサービスの内容なのでしょうか…


※以下用いる「サービス」という文言は、「comfortable・享楽・満足を与える」という意味ではなく、「材や商品ではない行為の内容」として用います。ご注意ください。

簡単に「塾のサービスは勉強(内容)を教えること」と解釈する人が多いと思いますが、私はそれは間違っていることである思います。

塾は別に勉強など教えなくても良いのです。いや、教えることが逆にサービスすることに逆行する場合ですらあるのです。

塾というサービス業の存在意義・その目的はいったいなんでしょうか?
①テストの点・成績を向上させる
②○○中学・高校・大学に合格させる

こののような目的は当然あるのですが、私はさらに付け加えます

③成人後に社会的に有用な能力を持つ人間として成長できる主体を育てる

ということです。

単に文部省が決める学習内容を理解しマスターしたとしても、程度の高い学校に入学できたとしてもそれだけでは(極論すれば)何にもなりません…昨今では「大学卒業者の就職率の低下」が社会問題になっています。もちろん「程度の低い大学卒業予定者」ほど就職が難しいという傾向はありますが、すべてがそうでもありません。「程度の高い大学卒業予定者」でも就職するのが難しい人がごまんといます。

社会に出ても、高学歴(程度の良い大学卒業)者が必ずしも活躍できているわけでもありません。

「社会的に有用な能力」といいますのも、産業社会の速い変化は、絶えず新しい技能や知識を要求します。それに合わせて(先んじて)再教育・再訓練・再学習が必要です。社会で活躍できる(社会で必要とされる)人は、絶えず新たな知識や技能を得るために自己啓発・訓練を行い、発達し続ける人…といっても良いでしょう。

それなしでは社会的有用性を持ち…少なくとも持ち続けることはできません。

簡単に言えば、「能力を伸ばすことができる」能力といえるのかもしれません。

私は①②の目的はあくまでも最終的な目的である③のための、過程であり手段や短期的目的だと考えています。

さて、目的がそうであるならば、塾で提供するサービスは、単に「学習内容を教える」というものだけではなくなります。またそれよりももっと大切なサービスがあるはずです…

以下③に続きます。